
数年前、入院病棟で担当した50代の男性を私に紹介してくださったのは、立ったり歩いたりするためのセラピーを提供するフィジカルセラピストでした。話によると、交通事故で入院してきた彼は、言葉が出ないとか言葉を理解できない様子はなかったが、交通事故で頭を強打しているので、一応入院中に思考力の検査をするべきだと、言語セラピーの検査を医師に依頼してくれたのです。
医師からの正式な指令があり、私はその男性と対面しました。男性は確かに日常会話をしている分にはとくに何の支障もないような様子でした。しかし、どこかおどおどしているというか、周りの様子を探りながら行動をとるような素振りを見せていて、それが私には妙に印象に残りました。
今日の日付もわかっているし、どの病院にいるのかかもわかっているし、なぜ入院してるかも理解しているし、確かに医師から見たら「特に思考力の低下はない」と思われそうな人でした。しかし話を掘り下げてみると、看護士さん達が言っていることにあわせてそうだそうだと合意したり、その前の日に何が起こったかと言う話をスタッフがすると、当たり障りのない返事をしてやりすごしているようでした。
しばらく世間話をしてすっかり打ち解けたところで、「交通事故で大変でしたね。頭を強く打ったということですが、記憶力や集中力に変わりはありませんか。」と尋ねました。彼はやはりあいまいな返答をしました。「あなたはお仕事も現役でしてらっしゃるし車の運転もなさるし、今まで全てご自分でやってきたのですから、集中力や記憶力をきちんと検査することをおすすめします。普段簡単にできることがいつもより難しいということがある場合は、入院している間にセラピーを始めて、できるところまで回復することに集中するべきです。」と説明し、記憶力や暗記力、集中力のテストをしました。するとどのテストも正解率は50%といった中度の思考障害という、普段何でも自分でやっている方の思考能力とはとても言い難い結果が出ました。
「頭を打ったのですから無理もありませんよ。これでどの能力のセラピーを受けるべきかわかったのですから、きちんと治していきましょう。」と彼を力づけ、その日から思考力全般のセラピーが始まりました。
次の日奥様と初めて対面しました。隣町の大病院で働いているという奥様は、男性よりも10歳ほど若いのではと思うような元気のよい方でした。医療関係で働いているそうで、いつもポニーテールに黒い医療服で、重そうなリュックを肩にひっかけて速足で病室に入ってきました。
奥様は、ご主人の思考力が低下していると聞くと少々不服そうな顔をしました。ご主人の知能を疑われたような気になったのでしょうか。それまで頭はなんともないと医師や看護婦さん達に言われてきたし、言葉もちゃんと出ているからスピーチセラピーなどいらないと言われていたところに私が気分を害するようなニュースを伝えたのが不愉快だったのでしょう。「頭の怪我をした場合も病気をした場合も、なるべく早くセラピーを変えた方が開始することをおすすめします。このまま退院してしまって、いざ退院した後、仕事に集中できない、とか、日常でも始めたことが終わらせられない、など、実際に問題が起こってからセラピーを始めるのではなく、今のうちに生活や仕事に関係する思考力の回復を目的としたセラピーをするべきだと思います。」と私は説明しました。奥様は渋々承知しました。
まず、ご家族の方が見ても思考力の低下が間違いなくわかるセラピーをしようと思い、最初に使用したのは、10の単語を暗記して、全部覚えられたと思ったらその紙を伏せ、できるだけ多くの単語を思いだす、というものでした。彼の正解率は10個中4個でした。しかも、同じ言葉を繰り返し、その後できないとすぐに諦めてしまったりと、集中力も低下していることがすぐにわかります。さらに、この10個の単語は、白、黒、犬、猫、などのように実は2つずつ同じ種類に分かれていて、よく見れば10個ではなく5個の情報を覚えれば良いとわかるように作られていたのですが、彼はそのようなパターンも見いだすことができませんでした。奥様は近くでそれを見ていて非常に驚いたようでした。10個中4個の正解率なら、難易度を低くしてみようと思い、6個の単語なら全ての単語が思い出せるかどうかやってみましょうと提案しました。最初に使った10個の単語とは全く無関係の新しい6単語のリストを使いました。
私の直感では、正解率は半分以下だろうと予測しましたが、想像通り、彼が思い出せた単語は6個中2個でした。しかも、先程の10個の単語の中で思い出せた言葉が、新しく渡された6個の単語のリストに混ざってしまい、それを繰り返すばかりでした。奥様は目を伏せて少し涙ぐんでいるようでした。
「入院中にわかってよかったですね。今あなたの暗記力は普段よりもかなり劣っています。普段だったら自分に興味のない、関係のない単語でも6個程度、10個程度なら問題なく暗記できたのじゃないでしょうか。でも、このような脳のエクササイズをすることで、暗記力、記憶力を回復していくことは可能です。これからは集中して一緒にセラピーをでやっていきましょう。」と2人に告げました。
彼はそれまで特に意見などを言わずに何でもはいはいとやっていましたが、この小さなテストの結果を見て、「俺、このままじゃやばいですね。」と愕然とした様子でつぶやきました。そして「どうすればこういう能力は取り戻せますか」と私をまっすぐ見て聞きました。
「思考力と一口に言っても、暗記力、記憶力、集中力、問題を解決する力、問題を予想して備える力、時間の管理する能力など、種類はいろいろですが、それぞれが関係しあっています。記憶力が劣っているのは、覚えるために必要な集中力が劣っているからという可能性もあります。集中力の検査をして、記憶力と合わせて集中力のセラピーもするべきかどうか調べることが大切です。」と私は説明しました。
集中力の簡単な検査でよく行われるのは、紙にABCDEFG と文字を散りばめるように書いたものを指でAから順に指さしていくというのがあります。彼はそれは比較的にできました。その後ちりばめられた文字の間に12345と、数字をちりばめて書き足したものを見て、文字に気を取られることなく、数字を順番に指させるかどうかの検査をします。これも彼はまあまあよくできました。最後に、文字と数を交互に、A-1-B-2-C-4というように交互に指さしができるかどうかをみます。ここで彼はかなりてこずりました。交互にというルールをきちんと理解しているにもかかわらず、Aー1の後にB-C-Dと文字ばかりを指差してしまい、数字には気が回らないような様子でした。
「これは2つのことに気を配れるかと言う能力を見る大事な検査です。例えば仕事先で、クライアントと電話中、言われたことをメモしたあと、その後会話を続けることをできるでしょうか。また、上司から電話があって、数分後お得意様から電話があった時、電話終了後上司に電話をかけなおすことができるでしょうか。」今の状態で仕事に戻ることはできないと患者さんも奥様もよくわかったようでした。
このようにして他にも思考力の検査をし、まずは基本的な記憶力と集中力の力をつけるセラピーを始めることに決まりました。
事故を起こした場合、事故にあった場合、番骨の中の脳が左右前後に揺れ、首の根元にある脳の部分が硬い首の骨にあたりそこの部分が司る能力が低下することがよくあります。これはヒポキャンパスと呼ばれる暗記力や記憶力を司る部分です。
思考力低下というと、もの覚えが悪くなった、物忘れがひどくなったと、なんでも記憶力と結びつけてしまう方が多いようですが、実はそれは間違った見解です。情報を覚えられない能力として表面的には出ていても、実は問題を解決できないとか、集中できないといった理由がその背景にある場合も多いのです。表面的な能力の検査、セラピーをするのではなく、それがなぜ起こっているのか、根源を見つけることが言語セラピストの使命だと私は考えます。
この男性の例にもあったとおり、集中できない状態で情報を受け取っても、覚えられるわけがないのです。ですから、症状を治療するのではなく、症状をきたす原因になっている思考能力はどれなのかを調べ、その思考能力のセラピーをするべきなのです。
数々のセラピーを重ね、彼は、退院する前には最終的には、時間をかければ仕事関係の情報を思い出すことができたり、常にメモを取ったり聞いた情報をすぐに繰り返すなど、情報をより覚えられるような工夫を自分で考え実行できるほど思考力が向上しました。
あなたは、あなたの大切な人は、表面的な思考能力の強化をするばかりのセラピーを受けていませんか。そうかもしれない、と思ったなら、現在の言語セラピストの方に是非聞いてみてください。今どうして物覚えが悪いのか、または今どうしてなくしものが多いのか、それは記憶力が低下しているだけなのか、それとも他の思考力が低下しているせいなのか。そしてその思考力を強化させるにはどのようなセラピーをするべきなのか。きちんと説明していただくべきです。
プレゼンスでは、カリフォルニア州お住いの方を対象に、日英両語にて思考力の検査及びセラピーを行っております。現在の思考力にお悩みの方は、ぜひ一度ご相談ください。