コラム6|失行でお悩みの方へ。「バイキング運動」で話す力をとりもどした女性の話

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皆さんは失行という症状を知っていますか? 脳の病気やケガが原因で、普段普通に行っている作業や行為を順を思うようにできなくなる状態のことです。失行の一種に、言語失行というものがあります。

脳からうまく信号が口に届かなくなり、言いたい音がうまく出なくなるのがその特徴です。

例えば「バターカップ」と言いたいところを「カバータップ」と言ってしまったり、「ゆうびんきょく」を「うくゆきゅんぶ」と言ってしまったりなどと、音があべこべになってしまったり、長い単語が言えなくなってしまったりします。重度のケースだと発声、発音自体ができなくなってしまいます。

私はこのような重度の失行を患った70代の女性患者さんを担当した記憶があります。

病室に入るとその女性の側にご主人が座っていましたが、2人とも一言も言葉をかわさず、室内はしんとしていました。私がスピーチセラピストのものですと自己紹介をすると、ご主人は「スピーチセラピストの方ですか。でもうちの家内は一言もしゃべらないんですよ。どうやってセラピーするんですか」と心配そうに疑問を投げかけてきました。確かに女性は私の方を向いてにっこり微笑んでいましたが、こんにちはの挨拶にも、〇〇さんですか?の問いかけにも、困ったようにはにかみながら頷くばかりで、言葉では返答できませんでした。

一般的には失語症は「言いたい言葉を探し出せない」、失行は「言いたい言葉は頭にあるけれどそれが口から出ない」、という大きな違いがあり、治療法も異なります。しかし、症状が重度である場合、どちらの場合も全く話ができなくなるため、どちらなのか判別がつかないこともよくあります。私はまず、その方の理解力と思考力の検査をし、支障をきたしているのは話す力だけだと言うことが確認できたので、失語症なのか失行なのかを区別することに集中しました。

失語症ではなく失行であるとはっきりわかるのは、動作を真似してもらった時です。例えば、セラピストが頬を膨らまして「同じようにやってみてください」と言うと、失行を患っている方は、口から舌を出したり、口をとがらせたりなど、全く違った反応をしたり、自分の反応に驚いたりします。私はその女性に、口を開ける動作や舌を出す動作を真似るよう促すと、その方は、舌を出したりするどころか少し前のめりになるばかりで、全く口を動かすことできませんでした。脳の信号の出し方に支障がある、失行だ、とその時診断をくだすことができました。

失語症と失行の両方が重なって発症することもありますので、失語症がないとはもちろん確定できたわけではありません。しかし、ここまで重度の失行を患っているのであればそこからセラピーをするべきだと私は考えました。

その時思い出したのは、当時学会で新しく紹介されたバイキングと呼ばれる失行に特化した口の運動でした。「あーいーあーいー」と、2種類の口の形で発声練習した後、「あー」と言う時は声を出して、「いー」と言う時は声を出さない、という練習です。この運動をする時、顎の動きが海賊の漫画のキャラクターに似ているところからバイキングと言う名前がつけられたそうです。しかし女性の失行はあまりにも重症だったため、それすらもできない状態でした。

そこで考えたのは、まずは口を開かずに声を出すことだけに集中すること。「んー、んー、んー」と、ハミングすることから始めました。するとその女性は、思いのほか発声を容易にできました。これはいける!と思い、それから口を開いて同時に声を出す「あーあー、あー」と声を出す練習、口の形を変えて声を出す「いー、いー、いー」と言う練習。その練習を経たあと、この2つの音を組み合わせて「あー、いー、あー、いー」の練習をしました。このように段階を踏みながら少しずつ難しい音の組み合わせを発する練習をすることで、「あー」は声を出して、「いー」は声を出さない、という練習も、なんのことなくできました。基本的なことから始まった1連の運動によって、脳の信号を送る力が少しずつ強化されていった証拠だと言えます。

バイキングの運動はここで終わるのですが、運動ができても実際の言葉が使えないようでは意味がありません。そう考えた私は「アイス」のように「アイ」で始まる言葉や、「シャイ」のように「アイ」で終わる言葉をリストにして、その言葉全部が言えるようにするよう練習を進めていきました。

それができるようになると今度は同じ音から始まるけれども語尾の母音が違うことで意味が変わる単語の一覧を使い、それを自由自在に発音できることを目標に練習していただきました。”my” (「マイ」) “may” (「メイ」) “me” (「ミー」) “mow” (「モウ」) “moo” (「ムー」) といった具合です。その言葉を紙に書き、いろいろな順で指差して、女性がその言葉素早く言う練習です。この後さらにフレーズへ移り、センテンスにと、次第に語数を増やしていきました。 “My car” “I love my car.” “I love my new car.” “I love my new blue car.” といった具合です。傍で見ていたご主人は、信じられないといった表情で、奥様がみるみる言葉を発していく姿をとても嬉しそうに見守っていらっしゃいました。

この日を機に女性はみるみると話す力を回復させていき、数ヶ月後にはほとんどの会話をすることができるようになっていました。その女性は、近々生まれてくる私の双子の子供たちのために、手編みの毛布を色違いで編んでくださいました。「あなたへのほんのお礼です。お礼の言いようもありません」と、失行の面影もないその女性の優しい言葉とふかふかの白にピンクと薄いグリーンの柄があしらわれた毛布を受けとると、私はとてもあたたかい気持ちになりました。

失語症のセラピーは、ものの呼び名を思い出したり、することが中心であり、脳の信号送信の強化を必要とする失行の治療にはあまり意味がないものと言えます。特に重症の方は、音の発声の練習から入るべきですが、そこで止まるのではなく、そこから実際に使える単語に繋げ、そこからフレーズにしていき、文章にしていくことで、日常のコミュニケーションに応用できるようにするべきです。

あなたが、またはあなたの大切な人が現在受けていらっしゃる言語セラピーはどんなものですか。もし失行を患っていらっしゃるならば、きちんと失行に特化したセラピーを受けていますか。また、失行のセラピーであっても、音を出す練習ばかりに治まってしまっており、何週間も何ヶ月も発声練習で、単語を練習するチャンスさえ与えられていらっしゃるのではないでしょうか。もしそうだとしたら、ぜひ現在の言語セラピストの方に、単語を使ったエクササイズもしたいとお願いすることをお勧めいたします。

プレゼンスではカリフォルニア州にお住いの方々を対象に言語セラピーの検査や治療を提供しています。お一人で悩んでいらっしゃらないで、どうか一度ご相談ください。